執筆について

読み手の心にすっと届く、正確でやさしい文章。それが私の大切にしている姿勢です。

これまで「伝えること」に長く向き合ってきた経験と、幅広い分野の読書から得た知見を活かし、わかりやすく丁寧な文章をお届けいたします。

また、Kindle出版のサポート経験もあり、読みやすい言い回しや構成の調整などもお手伝い可能です。

🌿 こんな方におすすめ
・読みやすく、やさしい文章を求めている方
・丁寧で安心できるやり取りを大切にしたい方

お手伝いできること

🌿記事の執筆・構成
AIを補助的に活用しながら、人の手で丁寧に仕上げています。
読みやすさと正確さを大切に、記事制作を行っています(Webライター検定3級保持)。

🌿WordPress入稿

直接入稿から、読みやすいレイアウト構成まで一貫して対応可能です。

🌿納品形式
Googleドキュメント/Word/Notionなど、ご希望に合わせて対応いたします。

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🌿ICT/教育分野
🌿介護/家族に関するテーマ

※その他のジャンルもお気軽にご相談ください。

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以下は執筆したサンプル記事です。文体・構成・品質の参考にしてください。

おじいちゃんの神社」(家族・神社・1253文字)

実家の近くに、私と娘が『おじいちゃんの神社』と呼んでいる神社がある。
もちろん、本当に祖父の神社、というわけではない。けれど、私も娘たちも親しみを込めてそう呼んでいる。

きっかけは、境内をぐるりと囲む玉垣だ。神社の入り口の一番目立つところにある、他よりもちょっと大きい玉垣。そこに祖父の名前が刻まれていることに、あるとき気がついた。

若い頃は神社に興味がなく、初詣くらいしか行かなかったこともあり、玉垣の文字など私の目には全く入っていなかった。それがコロナ禍をきっかけに神社参拝に目覚め、娘と参拝した時に気づいたのだった。

それ以来、この神社は「実家の氏神様」である以上に、「おじいちゃんのいる場所」となった。ここに祖父がいるわけではないのに、定期的に訪れては、手を合わせて祖父に、そして神様に語りかけている。

祖父は明治の終わり頃に生まれた人で、長男として家を継いだ。弟を二人、若くして亡くしている。戦争もあった。

その中で商売を続け、家を守り、地域の役も引き受けてきた人だった。お寺の総代も務めていたと聞いたので、周りから信頼される人だったのだろう。神社との関わりも、おそらくそうした流れの中で自然と始まったのだと思う。

お正月になると、普段は静かな境内にテントが張られ、いつもと違う空気が漂っていた。初詣に行くと、白い法被のようなものを着た祖父がそこにいた。

子どもの私には祖父が何をしていたのかよく分からなかったけれど、今思えば参拝客に御神酒を振る舞っていたのだと思う。いつもは無口な祖父の違う姿を見たようで、誇らしい気持ちがしたことを覚えている。

無口で倹約家の祖父ではあったが、孫である私や妹をとても可愛がってくれた。私と妹が大学に進んだとき、毎月の生活費を振り込んでくれたのは祖父である。

「祖父が毎月嬉しそうに振り込んでいた」ということを後になって聞き、祖父が生きている間にもっとおじいちゃん孝行をしておけば良かったと後悔している。


祖父は長女がお腹にいるときに亡くなった。だから、娘たちは祖父に会ったことがない。

けれど、娘たちもこの神社を「おじいちゃんの神社」と呼ぶ。玉垣に刻まれた名前を見て、私が話して聞かせた祖父の姿を重ねているのだろう。

たまに、
「ねえ、『おじいちゃんの神社』に行く?」
と誘うと、娘は
「うん、行く!最近行ってないもんね」
と答える。

一緒に参拝に訪れ、神社に向かって手を合わせている娘の姿を見ていると、会ったことのない祖父と娘が、この場所でつながっているような気がする。


この場所に来る度に、私は玉垣の文字を眺め、そしてそっと触ってみる。「おじいちゃん、来たよ」と心の中で語りかけながら。
あの無口な祖父が、どのような考えで神社と関わっていたのかは分からない。ただ、孫の私がこうして娘を連れて参拝していることを、祖父はきっと喜んでくれているだろう。


私たちにとって『おじいちゃんの神社』は、祖父とつながる場所。近いうちにまた、祖父に会いに行こうと思っている。

「父の『旨い』を探して」 (介護・食・1129文字)

4年前の春。私は34年間勤めた職場を退職しました。仕事と両親の介護を両立させることに、限界を感じていたからです。

毎日実家に通って両親のサポートをする生活が始まり、まず頭を悩ませたのは父の食事でした。

父は味にうるさく、舌に合わないと「食われん!」と言って箸をつけません。もともと食が細く、気に入ったものでもほんの少ししか食べない人でした。さらにガンを患っており、いつまで今の生活ができるのかも分からない状態でした。

「少しでも父に長生きして欲しい」「痩せ細っている父を何とかしたい」という思いは、私も母も同じです。「どうやったら父にたくさん食べてもらえるか」、母と二人で試行錯誤の日々でした。

父が、
「これは旨い。また買ってきてくれ」
と言ったものは、せっせと買いに行きました。

父が、
「肉じゃがが食いたいのお」
と言った次の日は、家で作って持っていきました。

気づけば、父の好みに合わせて店をはしごするのが日課になっていました。
・食パンとお刺身は、地元のスーパー
・カツサンドと白身魚のフライは、こだわりの食材が並ぶお店
・お豆腐と大判焼きは、隣町のスーパー

自分の買い物もあるので、
「一つのお店で全ての買い物が済んだら楽なのに…」
と何度も思いましたが、こればかりは仕方のないことでした。

家に帰れば、今度は夫の夕食作りが待っています。父とは正反対で、よく食べる夫。
「父は太らせたい、夫は痩せさせたい」。その両極端に何度もため息をつきました。

当時はまだ、母も簡単な料理をすることはできました。ですが、母の料理能力は徐々に怪しくなっていき、父も不調を訴えることが増えていきました。

「いつまで父は元気でいてくれるのだろうか…」

先の見えない不安に怯えていた夏のある日、ホットクック(自動調理鍋)で茹でた素麺を持っていくことにしました。

ホットクックを使うとほったらかしで料理ができます。しかも茹でているときに吹きこぼれることもありません。茹でた素麺に刻んだハムときゅうり、それに市販の錦糸卵も添えました。

「お父さん、素麺持ってきたよ」
そう声をかけると、
「おお、素麺か!……これは旨いのお!」
と父。その一言で、胸の奥に溜まっていたものが、すっと軽くなった気がしました。

気を良くした私は、お蕎麦も茹でて持っていきました。
「お父さん、お蕎麦はどうかな?」
「おお、これも旨いぞ!」

もともと素麺やお蕎麦が好きな父ではありましたが、「旨い」と嬉しそうに食べている父の姿にほっとしたことを覚えています。

それから1年後、父の言葉を聞くことは、もうできなくなりました。

それでも、
「歩、旨かったぞ」
というあの一言は、今も、私の中で生き続けています。